「水」戦争の世紀(モード・バーロウ & トニー・クラーク,集英社新書)


 今から10年以上前,「第三世界ではミルクを溶く水が手に入らないために,コカ・コーラを母乳代わりに飲ませられている赤ん坊が多く存在する」と公式に報告されている事実を,あなたはご存知だろうか?

 なぜ,水が手に入らないかというと,水の値段が高すぎるからだ。なぜ,コカ・コーラを飲ませているかというと,水よりコーラの方が安いからだ。もちろん,赤ん坊の時からミルク代わりにコーラを飲ませられれば,重大な栄養失調と蛋白質不足をきたす事は,医療関係者なら誰にもわかるだろう。

 だがこれは,第三世界だけの問題ではないのである。水を単なる商品と考え,水で大儲けを企むグローバル企業があり,水道事業を民間会社に委託して財政負担を軽くしようと政府が考えれば,これはいつか,私たちにも降りかかってくる可能性があるのだ。

 以前にもこのコーナーで『地球の水が危ない』という本を紹介したが,それよりはるかに深刻な状況を豊富なデータで説明している。


 これはまさに,なぜこのような事態が起きているのかを鋭くえぐる告発の書である。


 地球は水の惑星と呼ばれている。スペースシャトルから見た地球の映像を見ると至る所が水(=海)だ。まさに水は無尽蔵に存在するように見える。

 だが,それはとんでもない間違いだ。人類が飲める水(=淡水)は,地球全体の総水量のわずか0.5%以下に過ぎないのだ。海の水は飲めないのだ。しかもこの淡水は環境破壊,人口増加,都市化,工業化によって急速に減少しているのだ。


 例えば,1台の車を作るのに40万リットルの水が必要だ。

 コンピュータを作るのに大量の脱イオン水が必要で,しかも大量の排水を出している。

 食料の自給自足を目指して灌漑農業を始めたサウジアラビアで,穀物1トン生産するのに3000トンの地下水を汲み上げてしまい,地下水(帯水層)があと50年で枯渇することは避けられそうにもない。

 世界最大の淡水,アメリカの五大湖の水量は毎年低化を続け,ついにセント・ローレンス川が大西洋に注がなくなった。

 中国の黄河は1972年以降,海に注がない日が増え,1997年の断流日数は226日に達している。

 かつて世界4番目の湖だったアラル海は輸出用綿花の生産のための使われ,そのため現在では,総水量の80%を失い,残りの水も昔の10倍の塩分を含むようになった。結果として,漁業は壊滅し,周辺地域の気温の変動も大きくなり農業も壊滅した。


 これが,世界の淡水の現状である。日本では捨てるほどある淡水だが,これは世界的には極めて稀なのである。日本は降水量が非常に多いが,それでも道路という道路が舗装されているため,降った雨は地下に浸透せずに直接海に注いでしまう。これでは地下水は供給されず,日本といえども地下水が枯渇する日がやってくる。


 さて,物が足りなくなれば,それをビジネスの対象にする人間,会社が現れるのは世の常である。足りなければ足りないほど,その商品価値はうなぎ昇りだ。

 世界的に不足している淡水は石油より貴重な「資源」だと気がついたのが,グローバル企業であり,世界銀行であり,IMFであり,またたく間に,水という資源は投機の対象になり,独占された。全ての地下水を買占め,商品化しようとして彼らは世界中を飛び回っている。

 ここで彼らが拠り所にしているのは,「全世界にとって自由市場経済以外の選択肢はなく,この経済モデルに従うべきだ」とする「ワシントン・コンセンサス」である。まさに,淡水危機はワシントン・コンセンサスに基づけばビジネスチャンスであり,水の私有化と商品化の方向が決まってしまった。


 2000年にハーグで開かれた「世界水フォーラム」ではなんと,【水は人間にとって必需品であるが,権利(人権)ではない】と採択した。採択したのは国連と世界銀行である。もちろん後押ししたのは,グローバル企業と営利目的の水道企業。

 「必需品であるが権利でない」のだから,金のある者,金を出す者は水を手に入れられるが,貧乏人は手に入らなくなる。それが経済の原則だ。


 ある,世界規模の水道会社のCEOは次のように言っているらしい。

「水ほど効率のよい商品はない。何しろ,この製品は生命にとってなくてはならないものだからだ。普通はただで手に入るが,わが社はそれを売っている。」

 おそらく彼はこう続けたかったはずだ。

「水がただで手に入らなくなれば,わが社の水を買うしかなくなる。死にたくなければ,わが社に金を払わなければいけない。どんな貧乏人でも死にたくはないだろう」と・・・。


 一方,財政的に裕福でない政府は,財政問題の解決策として金のかかる水道事業を民営化しようと考えた。事実,多くの国で本来なら「非営利的公共事業」であるべき水道事業が,営利目的の外資系企業に乗っ取られてしまったのである。
 私たちは民営化と聞くと,「民営化→競争原理が働く→価格競争→民営化すると安くなる」と単純に考えがちだが,それは実に甘かった。


 その結果,どうなったか。


 ある国では,国営で行っている水道は裕福な国民にだけ廉価で供給され,貧乏人の住む地域には水道が敷設されず,彼らは100倍の値段の水を水売り商人から買わざるをなくなった。

 インドネシアの旱魃で住民の井戸が涸れた時でも,首都ジャカルタの観光客向けゴルフ場では大量の水が芝生に水が撒かれ芝生は青々としていた。

 フランスでは水道事業民営化後,水道料金が150%高騰した。

 ボリビアでは水道料金が月収の1/5まで跳ね上がり,食費より高くつくものとなった。

 そしてこれに,ボトル入りの水,清涼飲料水を売るメーカーが絡んでくる。水が高くて買えない層がいることは,彼らのとってビッグ・ビジネスチャンスだ。彼らは「そんなに高価な水道水を飲まなくても,わが社のミネラルウォーターを飲みましょう。わが社の清涼飲料水を飲みましょう」と宣伝し,水より安い値段で貧乏人たちに売りつけた。かくして,貧しい家庭の赤ん坊達は水でなくコーラを飲んで渇きを癒すしかなくなる。もう,健康になどに構っていられない。

 ちなみに,ペプシ・コーラもコカ・コーラも,蛇口をひねればいつでもコーラが出てくる「水道」を考えていて,技術的には簡単に実現するという。金に目がくらんだ政府はやがて,この「コーラ水道」の敷設権を許可する事になるのだろう。


 「水は必需品であるが権利でない」というのはつまり,こう言うことである。

 この本では,このようなグローバル企業とそれに追随する政府・自治体を徹底的に糾弾している。人類共通の遺産,そして共通の権利を「コモンズ(共有財産)として考え,それら(水や空気などの天然資源,遺伝子,健康,教育,文化,伝統など)を売り物にすべきでないと主張している。これらを次世代に受け継ぐのが自分達の世代の義務だと宣言している。淡水は人間だけの独占物ではなく,あらゆる生物が共有する財産だと提案している。そして,「ワシントン・コンセンサス」はこの「コモンズ」の商品化であり,根本的に間違っていると糾弾している。その上で,この,世界規模の淡水供給の不平等を正すために,まず何をすべきかを提案している。


 何年か前,解析した人間の遺伝子コードに特許を申請したメーカーがあった。そのニュースを見て,非常な違和感を感じたが,この本を読んでその違和感の原因が初めてわかった。遺伝子を読み取る技術や機械には特許をかけてもいいだろうが,遺伝子コードそのものに特許を与えるのは基本的に間違っているのだ。

 この違和感を放っておくと,次は空気の番だぞ。淡水がいよいよ少なくなってあまりに高価になりすぎて売り物にならなくなった時,やつらは「空気」を売り物にするはずだ。これぞ,究極の商品だ。

 「空気なんてどこにだってあるから売り物になるわけないよ」と考えている人がいたら,あなたは甘いと思う。売れるものを売るのが商売でなく,売り物でないもので商売するところに「銭の花」が咲くのだ。世界銀行がいきなり「空気は生存にとって必需品であるが,人間の権利ではない」と宣言してからでは遅いのである。

(2003/12/22)

 

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